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イドゥル・アドハ(犠牲祭)

 
2013年10月8日 カテゴリー:インドネシア, 文化・習慣

こんにちは、クラウンライン・スラバヤです。

 

10月になり、

「もう少しで美味しいマンゴーの季節だな」とか

「今年の雨季は12月からかしら?」など、

 

色々と頭をよぎりますが、

街中のいたるところに即席の家畜市場が立ち始めるのを目にすると、

 

「あっ!もうそんな時期か」

 

と、思い当たります。

 

そうです、イスラム教徒にとって

『イドゥル・フィトリ(または「レバラン」。断食明け大祭)』と並び、

日本の正月のように盛大に祝うイベント

 

『犠牲祭(イドゥル・アドハ)』

 

の日が近づいているのです。

 

イスラーム(ヒジュラ)暦の第12番目の月は巡礼月(ズール・ヒッジャ)と呼ばれ、

特に4日間(イスラーム暦7・8・9・10日)に行う「大巡礼」の際、

メッカを擁するサウジ・アラビアには世界各地からイスラム教徒が「巡礼の行」をしにやってきます。

 

本場メッカで行われる巡礼の行は、以下のような流れになっています。

 

<初日~2日目午前中>

(1) 巡礼者たちは、アラビア語で「アッラーの御前に・・」という文句をと唱えてカアバ聖殿に集まる。

(2) カアバ聖殿の周囲を、左回りに7回周る儀礼を行う(「タワーフ」と呼ばれています)。

(3) カアバ聖殿を建てたと伝えられるイブラヒームゆかりの場所で礼拝を行う。

(4) カアバ聖殿から数百メートル離れた マルワとサファーという2つの丘の間(約400メートル)を、7回行ったり来たり(つまり3往復半)する(「サアイ」と呼ばれています)。

 

<2日目午後~3日目正午>

(5) タワーフ、サアイ、2つの儀礼を済ませた巡礼者たちは、メッカから約20キロ離れた「アラファートの野」に、「ミナーの谷」を通り、「ナミラ・モスク」で礼拝をする。

 

<3日目正午~>

(6) そこにある「ラフマ山(“慈悲の山”の意味)」で日没までずっと立ったまま、悔いをあらためる儀式を行う(「ウクーフ」と呼ばれています)。

・・この日は、「ヤウム・ル・ワクファ」と呼ばれ、巡礼のハイライトです。

 

<3日目日没後>

(7) 巡礼者はメッカに戻るための大移動を始める。

(8) 途中の「ムズタリファ」で一泊するが、そこで次の日の儀式用に小石を数十個拾い、一夜を明かして4日目の早朝にメッカ郊外の「ミナーの谷」に戻ってくる。

 

<4日目朝>

(9) そこには、悪魔を象徴する「ジャムラート」と呼ばれる石柱が3本立っており、それに対して、前夜に拾った小石を7個ずつ投げつける、「石投げ」の儀礼を行う(「ラムイ」と呼ばれています)。

 

<4日目正午>

(10) 無事に「石投げ」の行(儀礼)を果たした巡礼者たちは、それぞれのキャンプに戻り、そこで家畜(羊・ヤギ・ラクダ・牛など)をほふり、巡礼の成功を祝福する。

 

※ ※ ※

 

インドネシアは世界一のイスラム教徒を有しておりますので、

毎年10月(巡礼月)になると、メッカ巡礼を行うツアーが企画され、

各地からバスを連ねて空港に集まり、チャーター飛行機が飛び立っていきます。

 

巡礼に出かけられない人々も、この「犠牲祭(今年は10月15日)」当日は、

早朝から準備をして臨みます。

 

モスクに行けない人には、その様子がテレビで生中継されています。

 

巡礼者たちと同じように清らかな白い衣装を着て早朝にモスクに出掛け、

正午まで集団礼拝(礼拝と説教を聞く)をし、

帰宅したあとで、各家庭で準備しておいた家畜をほふりお祝いをします。

 

その肉は、1/3を家族に、1/3を親類・友人に、

そして1/3を家畜を買うことのできなかった貧しい人々と分け合い、

 

「クッル・サナ・アントム・タイイビーン(“良い年でありますように”の意味)」

 

と、お互いに挨拶を交わすのです。

 

【最後に、この「犠牲祭」のいわれとなった故事について】

 

その昔、子宝に恵まれなかったイブラヒム

(ムハンマド以前に神が語りかけたとされる預言者の一人)が、

やっと息子イスマイルを授かったが、

その子がかわいい盛りの少年になったとき、

神(アッラー)から、その子を生贄にするようにとの命が下る。

苦悩の中にも、今まさに息子を手にかけようとした瞬間に、

親子のゆるぎない信仰心を確認した神は、再びイブラヒムに呼びかける。

 

「童を手に掛けるには及ばず。」

 

そこでイブラヒムは、最も大切な、生命の糧とも言える牡(オス)ヒツジを

生贄として神に差し出した。

 

・・・

 

この故事から発生した「犠牲祭」ですが、

これはほふった家畜を神に捧げる、ということ自体に意味があるのではなく、

イブラヒームの示した神への信仰心・忠誠心を思い起こし、

自分の欲望を犠牲にして神に引き続き帰依する、という意味があるとされています。

 

地元の企業だけでなく、当地に多数進出している日系企業も、

この日には街角の市場で家畜(ヤギや牛)を購入して従業員達に肉をふるまうことが多いですが、

こうした地元の文化や宗教を尊重している姿勢も、

インドネシアの人たちの友好的な態度となっている背景にあるのかもしれませんね。

 

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