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「 インドネシア 」

ジャカルタ屋台めし

 
2013年11月8日 カテゴリー:インドネシア, 食事

こんにちは。

クラウン・エージェンシー 木村明日香です。

 

今回、ジャカルタのローカル食事を紹介します。

 

私は、朝は必ずご飯を食べなければ、一日の仕事ができないタイプです。

そんな私に、ローカル食事は最適です。

会社に出勤をする前に屋台に寄って、テイクアウトをします。

 

朝食の定番としては、

Bubur Ayam(おかゆ・鳥味)、Mie Ayam(鳥ラーメン)などがあります。

 

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Bubur Ayam(おかゆ・鳥味)です。

 

1つ Rp(ルピア)12,000(日本円で約120円くらい)であり、

約5分ほどで作ってくれるので、朝の忙しいときには最適です。

 

Bubur Ayamは、鶏肉はもちろん、香菜、レモングラスのソース、

ケチャップマニス(甘いお醤油のたれ)、サンバル(唐辛子ソー ス)がかかっており、

とてもおいしいです!

 

おかゆですが、ご飯にも少し塩味が付いており、朝から食が進みます。

また、最近、はまっているご飯としては、Nasi Gila、Mie Acheがあります。

 

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Nasi Gila

 

ひとり暮らしをしていると、野菜不足になりがちですが、

たくさんの野菜とBasok(肉団子)が入っているので、

これを食べれば、一度に野菜とお肉を取ることができます。

 

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Mie Acheのお店

 

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茶色の味噌がMie Acheの大事な調味料となります。

このお店の場合は、独自に調合しています。

 

ジャカルタにお越しの際は、ぜひ一度お試しください!

 

木村

 

アパート・マンション仲介のクラウン・エージェンシー
http://id.crownline.jp/realestate/cat/

 

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なかなか会いに行けない

 
2013年10月30日 カテゴリー:インドネシア, 生活

ジャカルタといえば皆さん、まっ先に何を思い浮かべるでしょうか?

 

皆さん口には出しませんが、おそらく心の中では10人中9人は

JKT48の名前を思い浮かべることでしょう!

 

様々な問題を抱えながらも高い伸び率で発展途上にあるジャカルタと、

グループ内の厳しい選抜を乗り越えながらもスターダムにのし上がって行くJKT48。

 

20歳そこそこで言葉もままならないにも関わらず、

日本からJKT48に派遣されて来た高橋亜樹・仲川遥香と、

ジャカルタで言葉の壁、文化の壁にもがきながらも仕事に生きる自分

 

重なるものがありますね。

 

特に、仲川遥香はサードシングル

「Fortune Cookie in Love」」(恋するフォーチュンクッキー)でセンターをつとめ、

ジャカルタに来て1年で、テレビに出てインドネシア語で笑いをとるまでになっています。

 

あのまま日本にいたらセンターに立つのは難しかったのかもしれません。

 

まさに “鶏口となるも牛後となるなかれ” を地で行く彼女。

 

私も負けてられないな、と勇気をもらっています。

 

そんなJKT48。

いま人気があってチケットがなかなか取れない。

私も今までに何度か抽選に申し込みましたが、まだ1度も行けてないのです。

メ ンバーとチームを増やして公演回数を増やして欲しいものです。

 

インドネシア国外からいらっしゃる方には、

超遠方枠というチケット購入の優先枠がありますので、

ぜひジャカルタへ出張の際は専用劇場のJKT48シアターに足を運んで見て下さい。

(申し込みのwebサイトは、日本語とインドネシア語に対応しています。)

 

なお、JKT48シアターの入っているショッピングモールFX Plazaにはレジデンス棟がありますので、

アパートメントのご案内は、ぜひクラウンエージェンシーにお任せ下さい。

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葛西/クラウンライン・インドネシア

 

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バティック・フライデー

 
2013年10月25日 カテゴリー:インドネシア, 文化・習慣

こんにちは!

クラウンライン・ジャカルタのとくずみです。

 

オフィスビルでエレベーターを待っているとき、

周りがやけにカラフルだなと思うと、

「あぁ、今日は金曜日だったなあ」と気付かされます。

 

そう、金曜日はインドネシアではバティックを着る日なのです。

日本のカジュアル・フライデーならぬ、

インドネシアはバティック・フライデーです。

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社内でバティックを着ている人をキャッチ

不動産部の陽気なアストリッド(左)と誠実なワワン(右)

 

バティックとは本来、布に蝋(ろう)で模様を置くことにより、

蝋を置いた部分と置いていない部分を染め分ける技法で染色した「ろうけつ染め」の布です。

この技術は世界的に認められ、芸術性にも非常に優れています。

 

地域によって伝統の色や柄を継承しており、特にジャワ産のものが多く、

日本では「ジャワ更紗」とも呼ばれています。

2009年にはユネスコの世界無形文化遺産にも認定されました。

 

しかし、ろうけつ染めは工程の複雑さ、製作期間ゆえ

(一枚に数週間。半年から一年かかるものも!)

とても高価で数万円、数十万円のものもあります。

 

現在は安価なバティック柄のプリント布も普及し、日常の服や小物にとり入れられています。

 

例えば、男性もののシャツなら300円程~1500円ほどで購入可。

実際には、このプリントのものもバティックと呼んでいます。

 

男性は主にシャツですが、

女性はブラウス、ジャケット、スカーフ、ワンピース、スカート、靴など

様々な装い方があります。

 

色は落ち着きのある茶色ベースのものもあれば、

青、緑、 赤、オレンジ、ピンクやその組み合わせなど、

日本ではオフィスにはなかなか着て行かない派手~なものがたくさん見られます。

 

クラウンラインの入っているビルには日系・外資系企業も多く入っており、

日本人のおじさまたちも、金曜日はバティックを着ている姿が見られます。

 

街がカラフルでエキゾチックな模様であふれるインドネシアの金曜日は、

日本の控えめな色使いと対照的です。

 

自分たちの伝統的な芸術、文化を日常的に取り入れて、

しかも毎週金曜日に皆で合わせて着ちゃうという習慣が、

とても可愛らしく、素敵なものだと思います。

 

日本でも、着物は着ていけなくとも、着物柄や古い着物の布を取り入れたものなど、

毎週曜日を合わせて着たら、楽しいのではないでしょうか?

 

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まだ呼んでなかったけど・・、

自ら集まってきてくれた、チームワーク抜群の不動産チーム!

 

不動産部でお揃いのバティックを使い、

それぞれに好きなデザインを仕立て屋さんでオーダーしたようです。

 

インドネシアにいらした際には「お気に入りのバティック」をみつけて、

ぜひ金曜日に着てみてください。

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お清めを受けて一生を安泰に

 
2013年10月15日 カテゴリー:インドネシア, 文化・習慣

日本では、厄災が多く身に降りかかるとされる年齢のことを厄年と呼ぶ。

起源は平安時代とされ、論理的・科学的根拠は不明確ながら、

現代でも根強く信じられ、正月には厄よけの祈祷(きとう)が盛んに行われている。

また、家を建てる際などには土地の神を鎮めるため、地鎮祭(じちんさい)が行われる。

 

興味深いことに、インドネシアのジャワ島で行われている「伝統儀式ルワタン」も、

人の厄よけや地鎮を目的としており、日本の風習に似た部分を感じずにはいられない。

 

◎ルワタンの種類

ルワタンには大きく分けて2種類ある。

一つは厄がついているとされる人のおはらいだ。

厄がついているのは一人っ子の男の子、子供の中で唯一の女の子、正午に生まれた人など。

彼らは神の不肖の息子バタラ・カラの餌食になるといわれているが、

ルワタンを受けていれば安泰とされる。

 

もう一つのルワタンは土地を鎮める目的のものだ。

建物を建てる前に行われることが多く、特に2006年の中部ジャワ地震の後に盛んに行われた。

 

ルワタンの起源はマジャパヒト王朝時代(13世紀末~16世紀)とされ、

現在でもジャワ王宮から庶民の住む村まで、広く実施されている。

 

◎儀式の内容

人の厄ばらいとして行われるルワタンを例に、約4時間の儀式の内容を簡単に説明すると、

前半はワヤンと呼ばれる影絵芝居の上演、後半で断髪と聖水によるみそぎが行われる。

 

場所は自宅でも公共の会場でも可で、そこに食べ物や鳥などの生き物、農作業用品など、

生きるのに欠かせないものが捧げ物として供えられる。

そして、お香のかぐわしい香りの中でワヤンが始まる。

 

物語はバタラ・カラが餌食を探して人間界をさまようが、

ルワタンを受けている人間を食べることができず、

お腹を空かせたままさまよい続けるという内容だ。

 

儀式は日中行われ、おはらいをされる人は白装束に身を包み、儀式の最中は決して眠ってはいけない。

 

ワヤン終了後、ワヤンを上演したダラン(人形使い)が

おはらいされる人の髪の先を2センチほど切り、7カ所の湧き水から採取した聖水をかけ、清める。

カットした髪と着用していた白装束は、汚れた物として川から海に流される。

 

これで儀式は終了だ。

 

ルワタンは宗教的なものではなく、ジャワの伝統的習慣に基づいたものだ。

順調な人生を願うこのおはらいは、ジャワの人以外も受けることができる。

 

一度受ければ一生ご利益があるとされるルワタン、ジャワを訪れた際に受けてみるのもいいだろう。

 

ジャカルタでは11月5日(火・祝)9:00、タマンミニ・ジョグジャカルタ館

ルワタンが行われる予定だ。

 

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ルワタンは個人でも集団でも受けられる。
写真は、集団で行われたルワタンでおはらいを受ける人たちがワヤンを鑑賞しているところ。
ワヤンの鑑賞は影側から。

 

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ワヤン上演中のダラン。人形には美しい彩色が施されている。

 

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聖水によるお清めで汚れを洗い流す。

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イドゥル・アドハ(犠牲祭)

 
2013年10月8日 カテゴリー:インドネシア, 文化・習慣

こんにちは、クラウンライン・スラバヤです。

 

10月になり、

「もう少しで美味しいマンゴーの季節だな」とか

「今年の雨季は12月からかしら?」など、

 

色々と頭をよぎりますが、

街中のいたるところに即席の家畜市場が立ち始めるのを目にすると、

 

「あっ!もうそんな時期か」

 

と、思い当たります。

 

そうです、イスラム教徒にとって

『イドゥル・フィトリ(または「レバラン」。断食明け大祭)』と並び、

日本の正月のように盛大に祝うイベント

 

『犠牲祭(イドゥル・アドハ)』

 

の日が近づいているのです。

 

イスラーム(ヒジュラ)暦の第12番目の月は巡礼月(ズール・ヒッジャ)と呼ばれ、

特に4日間(イスラーム暦7・8・9・10日)に行う「大巡礼」の際、

メッカを擁するサウジ・アラビアには世界各地からイスラム教徒が「巡礼の行」をしにやってきます。

 

本場メッカで行われる巡礼の行は、以下のような流れになっています。

 

<初日~2日目午前中>

(1) 巡礼者たちは、アラビア語で「アッラーの御前に・・」という文句をと唱えてカアバ聖殿に集まる。

(2) カアバ聖殿の周囲を、左回りに7回周る儀礼を行う(「タワーフ」と呼ばれています)。

(3) カアバ聖殿を建てたと伝えられるイブラヒームゆかりの場所で礼拝を行う。

(4) カアバ聖殿から数百メートル離れた マルワとサファーという2つの丘の間(約400メートル)を、7回行ったり来たり(つまり3往復半)する(「サアイ」と呼ばれています)。

 

<2日目午後~3日目正午>

(5) タワーフ、サアイ、2つの儀礼を済ませた巡礼者たちは、メッカから約20キロ離れた「アラファートの野」に、「ミナーの谷」を通り、「ナミラ・モスク」で礼拝をする。

 

<3日目正午~>

(6) そこにある「ラフマ山(“慈悲の山”の意味)」で日没までずっと立ったまま、悔いをあらためる儀式を行う(「ウクーフ」と呼ばれています)。

・・この日は、「ヤウム・ル・ワクファ」と呼ばれ、巡礼のハイライトです。

 

<3日目日没後>

(7) 巡礼者はメッカに戻るための大移動を始める。

(8) 途中の「ムズタリファ」で一泊するが、そこで次の日の儀式用に小石を数十個拾い、一夜を明かして4日目の早朝にメッカ郊外の「ミナーの谷」に戻ってくる。

 

<4日目朝>

(9) そこには、悪魔を象徴する「ジャムラート」と呼ばれる石柱が3本立っており、それに対して、前夜に拾った小石を7個ずつ投げつける、「石投げ」の儀礼を行う(「ラムイ」と呼ばれています)。

 

<4日目正午>

(10) 無事に「石投げ」の行(儀礼)を果たした巡礼者たちは、それぞれのキャンプに戻り、そこで家畜(羊・ヤギ・ラクダ・牛など)をほふり、巡礼の成功を祝福する。

 

※ ※ ※

 

インドネシアは世界一のイスラム教徒を有しておりますので、

毎年10月(巡礼月)になると、メッカ巡礼を行うツアーが企画され、

各地からバスを連ねて空港に集まり、チャーター飛行機が飛び立っていきます。

 

巡礼に出かけられない人々も、この「犠牲祭(今年は10月15日)」当日は、

早朝から準備をして臨みます。

 

モスクに行けない人には、その様子がテレビで生中継されています。

 

巡礼者たちと同じように清らかな白い衣装を着て早朝にモスクに出掛け、

正午まで集団礼拝(礼拝と説教を聞く)をし、

帰宅したあとで、各家庭で準備しておいた家畜をほふりお祝いをします。

 

その肉は、1/3を家族に、1/3を親類・友人に、

そして1/3を家畜を買うことのできなかった貧しい人々と分け合い、

 

「クッル・サナ・アントム・タイイビーン(“良い年でありますように”の意味)」

 

と、お互いに挨拶を交わすのです。

 

【最後に、この「犠牲祭」のいわれとなった故事について】

 

その昔、子宝に恵まれなかったイブラヒム

(ムハンマド以前に神が語りかけたとされる預言者の一人)が、

やっと息子イスマイルを授かったが、

その子がかわいい盛りの少年になったとき、

神(アッラー)から、その子を生贄にするようにとの命が下る。

苦悩の中にも、今まさに息子を手にかけようとした瞬間に、

親子のゆるぎない信仰心を確認した神は、再びイブラヒムに呼びかける。

 

「童を手に掛けるには及ばず。」

 

そこでイブラヒムは、最も大切な、生命の糧とも言える牡(オス)ヒツジを

生贄として神に差し出した。

 

・・・

 

この故事から発生した「犠牲祭」ですが、

これはほふった家畜を神に捧げる、ということ自体に意味があるのではなく、

イブラヒームの示した神への信仰心・忠誠心を思い起こし、

自分の欲望を犠牲にして神に引き続き帰依する、という意味があるとされています。

 

地元の企業だけでなく、当地に多数進出している日系企業も、

この日には街角の市場で家畜(ヤギや牛)を購入して従業員達に肉をふるまうことが多いですが、

こうした地元の文化や宗教を尊重している姿勢も、

インドネシアの人たちの友好的な態度となっている背景にあるのかもしれませんね。

 

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