仕事の繁忙期が終わるのが見えてくると、
暦の上の連休にそそのかされて、
どっか行かなきゃもったいない!
という気になるのは僕だけではないはず。
ジャカルタで働きはじめて2年弱。
ある程度現地の言葉ができるようになると国内旅行がとても楽しい。
今後何度かに分けて、インドネシアの各地を旅する話をしたい。
基本的に男の一人旅なので、
“いかに一人での旅行を楽しむか”
というところも参考にして頂けたら幸いである。
まず、第一回目は、いきなりバリ編。
ベタすぎで恐縮ですが、ついこないだ4日間程行って来て楽しかったので、その気持が冷めやらぬうちに。
「バリ」と一口にいっても、日本でいえば愛知県や千葉県よりも大きく、海も山も一度の旅で楽しめるのが魅力。
南国というとキレイな海やビーチのイメージが強いが、バリ好きに言わせると『山が素晴らしい』らしい。
初日は、前回社員旅行でバリに行った時に仲良くなった現地の友達と合流し、ビーチの見えるオシャレスポットを散策。
波の音を聞きながら、星空を見上げて、スパークリングワインを傾ける。
バリって感じですね。
友達が現地にいるなら一人旅じゃないじゃん、というツッコミがあるかもしれませんが、甘い!
友達を現地で作ることも含めて一人旅です。
特に旅行者が多い街だと、みんな気分が開放的になっているので友達が作りやすい。
ガンバ、日本男児。
2日目、3日目はダイビングのライセンスを取るために、単独でダイビングスクールに入学。
日本語の話せるバリ人の先生のもと、朝から晩までみっちり講習。
昨年、ダイビング中に亡くなった日本人の方がバリで出たばかり。
実際にやってみると、いかに死と隣り合わせかを実感。
パニックになったら呼吸ができずに水圧に押し潰されるのが簡単に想像できる。
水中で呼吸ができない人間が、海中の生物と同じ空間を共有する。
自分は海のアウトサイダーなんだという謙虚な気持ちになるとともに、文明の利器を頼りながらそこで呼吸をしている自分という人間と、そこで生活をしている海中の生物たちの生命の神秘さを改めて感じました。
余談ですが、今回の講習会には年の離れた日本人の不倫カップル(?)の方たちと一緒になりました。
最初は互いに牽制し合っていた感じでしたが、無事講習会が終わりライセンスが取得できると戦友のような気持ちになり、最後にはみんなで仲良く記念撮影をしたのは良い思い出です。
バリって感じですね。
4日目は、山側のUbud(ウブド)というエリアに行きました。
友達と段々になっている田園風景を眺めてお茶をしたり、村や商店街をバイクで散策すると、いつもの自分の人生とは違う別の人の人生を体験しているようで、不思議な気分になります。
これがバリ島の魅力なのかもしれません。
クラウンライン
カサイ
最近、とても大きな石の指輪をつけたインドネシア人男性が増えました!
この石は、主にBatu akik(メノウ)で、この一年で、ジャカルタだけではなく、インドネシア国内でブームを呼んでいます。
今は男性だけでなくて、女性や子どもにも人気があります。
このブームにあやかり、インドネシアで最大の石の市場Jakarta Gems Center(旧Pasar rawa bening)をはじめ、Blok M Square、Mal Blok M、Gemstone Thamrin Cityなどで、多くの店がメノウを販売するようになりました。
今回は、リットル東京のブロックMにあるBlok M Squareのメノウの店を訪ねてみました。
Blok M Squareの入口にある、メノウの指輪をした大きな手の像。
2014年8月にBlok M Squareの地階(ブロックC&D)にメノウを販売する店が開店しました。
今年4月時点で、メノウの原石や加工品、加工作業をする店は約200にまで増えました。
指輪に使われるメノウには、さまざまな種類があります。
メノウの店のひとつ「Frank Gemstone」には、ジャワやスマトラ、スラウェシ、カリマンタンなどインドネシア各地からのメノウがあります。
オーナーのフランキーさん(46)によると、
今一番人気なのはbatu bacan(クリソコラ類)です。
スラウェシのバチャン島やカシルタ島に多いこの石は、自然に色が黒から緑に変わるユニークなものです。
アチェ産の黄緑色のメノウのbatu idocrase(アイドクレース)や、南スマトラ産の紫色のbatu akik lavender(紫色のカルセドニー)もよく売れています。
左から紫カルセドニー、クリソコラ、アイドクレースの指輪です。
また、メノウに天然の模様が入ったbatu akik gambarも人気で、模様により値段が変わります。
鳥、龍、人の顔、クロス、イスラム教のアラビア文字などの模様は高価がつきます。
ペンダントヘッドにした模様が入ったメノウ。最近これも人気です。
好きなメノウを選んで、それにチタンや銀、ロジウムなどの指輪の枠を合わせて、指輪にしてもらいます。
指輪の他、ペンダントヘッド、ブレスレットにも加工できます。
ブラックオパールやスラウェシ産のヒスイ、pancawarna(5つの色のメノウ)、カリマンタン産のロードクロサイトなどの原石を販売している店もあります。
地階の奥にはメノウをカットしたり研磨する場所が。加工料金は石の硬さにより異なります。
メノウの指輪は、以前からジャワ人男性に好まれていました。
着用者に幸運やカリスマ性、繁栄をもたらして、病気を治すなど特別な力があると考えられているからです。
今はファッションで着用する人が多いですが、メノウの不思議な力を信じる人も多いです。
我が子が高校入学のため、家族で一時帰国。
この時期での帰国は、実に6年ぶり。
帰国前、今の桜の開花状況を確認すべく、
NHKを見ると、いや~綺麗に咲いているではないですか。
と、喜んだのもつかの間、
「花粉注意報」の言葉が目に、
常夏のジャカルタにいながらも、体が凍る思いに・・・
忘れていた・・、小生は花粉症だったのである。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
花粉症は日本でしか症状が出ず、
海外にいるとなんともないのです。
以前は花粉症の季節前にまず、医者に掛かり、
事前の対策をしておりました。
でもでもやはりつらい時期。
お客様と面と向かって接する職業上、
みっともない顔は見せられないため、毎日、薬漬けでした。
それがジャカルタへ来た途端、
「なんてことでしょう~」
すっかり症状はなくなったのです。
それから6年間、忘れてました。
まあ、6年も経っているわけだし、体質改善されているかもしれない、
と楽観的に何も用意せず、朝、関西空港へ到着。
滞在先へ向かうと・・桜は満開、絶好の花見日和でした!
やはりこれですよ。桜が一番ですね。
だがだが、しかし、一日外ではしゃいでおりましたら、
夕方から鼻の奥がくすぐったい。
花粉? いや、きっと鼻毛が延びてコチョコチョしているんだよ、
なんて思っておりましたが、ダメでしたね。
【教訓】
体質なんて6年経ったって、
そんなに簡単に改善されやしません。
すぐに薬局へ行き、マスクと点鼻薬を購入し、
何とか期間中を乗り切りました。
充分に桜と花粉を堪能?し、ジャカルタへ戻りましたが、
やはり1,2日は後遺症に悩みました。
花粉もスギやヒノキ等、いろいろな種類があるようで、
4月を過ぎても次は5月の花粉があるようです。
まだまだ花粉症に悩まされている方々はいらっしゃると思いますが、
一番の薬はやはり「日本からの脱出」ですね。
そんなに簡単にはできることではありませんが、
脱出、いやいやご赴任の際の「お引越し」は、
是非、クラウンライングループにお任せください。
もちろん、花粉は運びません!!
でも桜の花びらは、そーっと入れておこうかな。
さっ、クラウンラインへ。
こんにちは、クラウンライン・スラバヤです。
毎年インドネシア、特にジャワ島では、
「4月21日」は “カルティニ・デー” として、
女性たちが民族衣装であるクバヤに身を包んでお祝いをします。
カルティニ(RADEN AYU KARTINI 21 Apr 1879 – 17 Sep 1904)は、
教育者、そして民族主義運動及び女性解放運動の先駆者、です。
中部ジャワの名門貴族(ジャパラ地方の領主)の家に生まれ、
家庭教師によるオランダ語教育を受けた後、
当時としては異例とも言えるオランダまたオランダ人小学校への入学を許され、12歳で卒業。
しかしその後は、ヨーロッパ留学の断念、設立に奔走した女子学校の規模縮小での開校、
不本意な結婚(年の離れたRembang県知事の4番目の妻として結婚)、を経て
出産後4日目の突然の死去、とあまりにも短い悲劇的な生涯でした。
トリビア(1):
ジャカルタのディポヌゴロ通りのカルティニ像は日本からの寄贈です。
トリビア(2):
1950年代には「5ルピア」札として、
そして1990年代初頭には当時の最高額面である「10,000ルピア」札として、
その肖像は親しまれてきました。
(1952年の5ルピア札)
(1996年の10,000ルピア札)
その「カルティニ女史」の女性地位向上・教育推進への功績をたたえ、
毎年彼女の生誕日である「4月21日」は
『カルティニ・デー(カルティニの日)』として、
女性だけでなく、男性も同じく民族衣装を着てお祝いをするのです。
4月は学校(小/中学校)に民族衣装を着てくるイベントもあり、
また民族衣装をテーマにしたファッションショーが開催されたり、と
女性にとって、より華やかな舞台が数多く用意されているのです。
イルファン・バフディム選手、ヴァンフォーレ甲府へ。
サッカーの元インドネシア代表FW、
イルファン・バフディム選手(25)がJリーグ1部のヴァンフォーレ甲府に加入した。
1月27日、日本への出発当日にジャカルタで会見を行った。
オランダ生まれオランダ育ちのイルファン選手は、
「技術を高めて、ゴールやアシストをたくさん決め、チームに貢献したい」
と流ちょうな英語で語った。
ヴァンフォーレ甲府側も、
「ヨーロッパ流のサッカーを身につけているイルファン選手なら
日本のサッカーにすぐに適応できると考えています。
足が速く、あたりも強く、ポテンシャルがある」
と大きな期待を寄せる。
契約期間は一年で、背番号は13。年俸は非公表。
Jリーグは現在、収益拡大のため、アジア開拓の戦略を打ち出しており、
イルファン選手は提携国枠のプレイヤーとして登録される。
また、ヴァンフォーレ甲府のある山梨県はガルーダ航空と提携し、
インドネシア人観光客の取り込みを図っており、
端正な顔立ちからインドネシアでアイドル的な人気を持つイルファン選手の加入は、
さまざまな面で話題を呼びそうだ。
このブログをお読みの皆様もJリーグ中継を見る機会があれば、
爽やかに熱くグランドを駆け抜けるイルファン選手の応援をぜひ、よろしく!
イルファン・バフディム
1988年8月11日、オランダ・アムステルダム生まれ。
インドネシア人の父とオランダ人の母を持つ。
2007年にオランダ一部リーグFCユトレヒトでプレー。
2010年8月からはインドネシアでプレーし、同年代表入り。
2013年はタイ・チョンブリFC所属。
身長172センチ、体重66キロ。利き足は右。
ヴァンフォーレ甲府公式サイト
http://www.ventforet.jp
ジャカルタでの記者会見でユニフォーム姿を披露するイルファン選手(2014年1月)