日本では、厄災が多く身に降りかかるとされる年齢のことを厄年と呼ぶ。
起源は平安時代とされ、論理的・科学的根拠は不明確ながら、
現代でも根強く信じられ、正月には厄よけの祈祷(きとう)が盛んに行われている。
また、家を建てる際などには土地の神を鎮めるため、地鎮祭(じちんさい)が行われる。
興味深いことに、インドネシアのジャワ島で行われている「伝統儀式ルワタン」も、
人の厄よけや地鎮を目的としており、日本の風習に似た部分を感じずにはいられない。
◎ルワタンの種類
ルワタンには大きく分けて2種類ある。
一つは厄がついているとされる人のおはらいだ。
厄がついているのは一人っ子の男の子、子供の中で唯一の女の子、正午に生まれた人など。
彼らは神の不肖の息子バタラ・カラの餌食になるといわれているが、
ルワタンを受けていれば安泰とされる。
もう一つのルワタンは土地を鎮める目的のものだ。
建物を建てる前に行われることが多く、特に2006年の中部ジャワ地震の後に盛んに行われた。
ルワタンの起源はマジャパヒト王朝時代(13世紀末~16世紀)とされ、
現在でもジャワ王宮から庶民の住む村まで、広く実施されている。
◎儀式の内容
人の厄ばらいとして行われるルワタンを例に、約4時間の儀式の内容を簡単に説明すると、
前半はワヤンと呼ばれる影絵芝居の上演、後半で断髪と聖水によるみそぎが行われる。
場所は自宅でも公共の会場でも可で、そこに食べ物や鳥などの生き物、農作業用品など、
生きるのに欠かせないものが捧げ物として供えられる。
そして、お香のかぐわしい香りの中でワヤンが始まる。
物語はバタラ・カラが餌食を探して人間界をさまようが、
ルワタンを受けている人間を食べることができず、
お腹を空かせたままさまよい続けるという内容だ。
儀式は日中行われ、おはらいをされる人は白装束に身を包み、儀式の最中は決して眠ってはいけない。
ワヤン終了後、ワヤンを上演したダラン(人形使い)が
おはらいされる人の髪の先を2センチほど切り、7カ所の湧き水から採取した聖水をかけ、清める。
カットした髪と着用していた白装束は、汚れた物として川から海に流される。
これで儀式は終了だ。
ルワタンは宗教的なものではなく、ジャワの伝統的習慣に基づいたものだ。
順調な人生を願うこのおはらいは、ジャワの人以外も受けることができる。
一度受ければ一生ご利益があるとされるルワタン、ジャワを訪れた際に受けてみるのもいいだろう。
ジャカルタでは11月5日(火・祝)9:00、タマンミニ・ジョグジャカルタ館で
ルワタンが行われる予定だ。
ルワタンは個人でも集団でも受けられる。
写真は、集団で行われたルワタンでおはらいを受ける人たちがワヤンを鑑賞しているところ。
ワヤンの鑑賞は影側から。
ワヤン上演中のダラン。人形には美しい彩色が施されている。
聖水によるお清めで汚れを洗い流す。
こんにちは、クラウンライン・スラバヤです。
10月になり、
「もう少しで美味しいマンゴーの季節だな」とか
「今年の雨季は12月からかしら?」など、
色々と頭をよぎりますが、
街中のいたるところに即席の家畜市場が立ち始めるのを目にすると、
「あっ!もうそんな時期か」
と、思い当たります。
そうです、イスラム教徒にとって
『イドゥル・フィトリ(または「レバラン」。断食明け大祭)』と並び、
日本の正月のように盛大に祝うイベント
『犠牲祭(イドゥル・アドハ)』
の日が近づいているのです。
イスラーム(ヒジュラ)暦の第12番目の月は巡礼月(ズール・ヒッジャ)と呼ばれ、
特に4日間(イスラーム暦7・8・9・10日)に行う「大巡礼」の際、
メッカを擁するサウジ・アラビアには世界各地からイスラム教徒が「巡礼の行」をしにやってきます。
本場メッカで行われる巡礼の行は、以下のような流れになっています。
<初日~2日目午前中>
(1) 巡礼者たちは、アラビア語で「アッラーの御前に・・」という文句をと唱えてカアバ聖殿に集まる。
(2) カアバ聖殿の周囲を、左回りに7回周る儀礼を行う(「タワーフ」と呼ばれています)。
(3) カアバ聖殿を建てたと伝えられるイブラヒームゆかりの場所で礼拝を行う。
(4) カアバ聖殿から数百メートル離れた マルワとサファーという2つの丘の間(約400メートル)を、7回行ったり来たり(つまり3往復半)する(「サアイ」と呼ばれています)。
<2日目午後~3日目正午>
(5) タワーフ、サアイ、2つの儀礼を済ませた巡礼者たちは、メッカから約20キロ離れた「アラファートの野」に、「ミナーの谷」を通り、「ナミラ・モスク」で礼拝をする。
<3日目正午~>
(6) そこにある「ラフマ山(“慈悲の山”の意味)」で日没までずっと立ったまま、悔いをあらためる儀式を行う(「ウクーフ」と呼ばれています)。
・・この日は、「ヤウム・ル・ワクファ」と呼ばれ、巡礼のハイライトです。
<3日目日没後>
(7) 巡礼者はメッカに戻るための大移動を始める。
(8) 途中の「ムズタリファ」で一泊するが、そこで次の日の儀式用に小石を数十個拾い、一夜を明かして4日目の早朝にメッカ郊外の「ミナーの谷」に戻ってくる。
<4日目朝>
(9) そこには、悪魔を象徴する「ジャムラート」と呼ばれる石柱が3本立っており、それに対して、前夜に拾った小石を7個ずつ投げつける、「石投げ」の儀礼を行う(「ラムイ」と呼ばれています)。
<4日目正午>
(10) 無事に「石投げ」の行(儀礼)を果たした巡礼者たちは、それぞれのキャンプに戻り、そこで家畜(羊・ヤギ・ラクダ・牛など)をほふり、巡礼の成功を祝福する。
※ ※ ※
インドネシアは世界一のイスラム教徒を有しておりますので、
毎年10月(巡礼月)になると、メッカ巡礼を行うツアーが企画され、
各地からバスを連ねて空港に集まり、チャーター飛行機が飛び立っていきます。
巡礼に出かけられない人々も、この「犠牲祭(今年は10月15日)」当日は、
早朝から準備をして臨みます。
モスクに行けない人には、その様子がテレビで生中継されています。
巡礼者たちと同じように清らかな白い衣装を着て早朝にモスクに出掛け、
正午まで集団礼拝(礼拝と説教を聞く)をし、
帰宅したあとで、各家庭で準備しておいた家畜をほふりお祝いをします。
その肉は、1/3を家族に、1/3を親類・友人に、
そして1/3を家畜を買うことのできなかった貧しい人々と分け合い、
「クッル・サナ・アントム・タイイビーン(“良い年でありますように”の意味)」
と、お互いに挨拶を交わすのです。
【最後に、この「犠牲祭」のいわれとなった故事について】
その昔、子宝に恵まれなかったイブラヒム
(ムハンマド以前に神が語りかけたとされる預言者の一人)が、
やっと息子イスマイルを授かったが、
その子がかわいい盛りの少年になったとき、
神(アッラー)から、その子を生贄にするようにとの命が下る。
苦悩の中にも、今まさに息子を手にかけようとした瞬間に、
親子のゆるぎない信仰心を確認した神は、再びイブラヒムに呼びかける。
「童を手に掛けるには及ばず。」
そこでイブラヒムは、最も大切な、生命の糧とも言える牡(オス)ヒツジを
生贄として神に差し出した。
・・・
この故事から発生した「犠牲祭」ですが、
これはほふった家畜を神に捧げる、ということ自体に意味があるのではなく、
イブラヒームの示した神への信仰心・忠誠心を思い起こし、
自分の欲望を犠牲にして神に引き続き帰依する、という意味があるとされています。
地元の企業だけでなく、当地に多数進出している日系企業も、
この日には街角の市場で家畜(ヤギや牛)を購入して従業員達に肉をふるまうことが多いですが、
こうした地元の文化や宗教を尊重している姿勢も、
インドネシアの人たちの友好的な態度となっている背景にあるのかもしれませんね。